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バーッパのお葬式
 ターッタの従兄弟にあたるおじさん、パーッパが亡くなった。数ヶ月前から体調を崩していて病院に通っていたが、検査の結果末期ガンが見つかり、手術も何もできないと病院に言われ、自宅に返されていた。日本だったら、延命処置しかないとしても、入院して何か治療を受けるだろう。それがスリランカでは何もなし。家でただ死を待てということか。

 もちろんお金があれば、スリランカにおける最新の治療が受けられる病院に入院することもできる。でも、私立病院では日本と同じくらいのコストがかかる。数十万、数百万の負担は、普通の家庭なら難しい。

 1ヶ月ほど前に、美咲を連れてお見舞いに行った。そのときはまだ元気で、食欲がないと言っていたものの、ベッドから起き上がり、居間のソファに座って話ができるほどだった。それがまったく食事が取れなくなってから急に体が弱り、最後は意識不明の状態で息をひきとったという。

 意識不明の状態になっても、体中を管でつながれ、死なせないことが最良なのかはわからないが、末期がん患者を何の医療設備もない自宅に返すなんて、最初はなんてひどいと思った。しかし、「食べられなくなったら体が弱って死ぬ」という自然なことを、本人だけでなく家族も受け入れ、死を迎えるようすを見て、「死のありかた」を改めて考えさせられた。

 スリランカでのお葬式に出席するたびに、「死」のとらえかたの違いを感じてしまう。同じ仏教徒でも、スリランカ人は過去世から現世、そして来世へと、私たち日本人より長いサイクルでいのちを考えている。「なぜ死んでしまうの?」とは考えない。「生きていれば死ぬのは当たり前」というのが浸透している。

 でも、自分に近い人が亡くなったら? やっぱり私はなかなか「死」を受け入れられないと思う。来世をみながら今を生きることは難しい。
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