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冠婚葬祭の嵐2
 7月は忙しかった。来客が多かったというのもあるが、葵が「魔の二歳児・イヤイヤ期」に突入したのが大きい気がする。とにかくなんでも「やだ」と言い、逃げるのでつかまえるのが大変。日中、思い出したように何度も「アンマ、抱っこ」もしくは「おんぶ」と来るし、相手にしないと泣く。今まであまり泣き声を聞かなかっただけに、これがけっこうこたえる。

 しかも、先月私が2週間あまり留守にしたのが尾を引いていて、「アンマじゃなきゃイヤ!」なのが困る。機嫌が悪いと、スリヤンガも拒否するくらい。夜寝るときもちゃんと寝付くまで隣にいないとダメだし、とにかく手がかかる。今までで一番手がかかっている。といった感じで、一層あっという間にこの1ヶ月が過ぎ去ってしまった。結婚式はもう1ヶ月以上も前の話。が続きなので、以下書き綴ろうと思う。

  *  *  *

 2つのダーナが無事終わって、続いては結婚式。プンチアンマ(スリヤンガの母方の叔母)の長女の結婚式が6月27日、ホームカミング・パーティーが29日に予定されていた。

 アンマはこの叔母と二人姉妹だから、仕方がないといえば仕方ないが、この叔母夫妻、金銭的な援助を含めてけっこう色んなことを私たちに求めてくる。この結婚式に至るまでの過程に、いささかうんざりしていた私はなんとかホームカミングには出ずに済ませたいと思っていたがかなわず。2日とも片道3時間半をかけて出席したのだった。

 まず、27日の結婚式。叔母の家から会場まで、新婦をうちの車で運ぶことになった。結婚式の式次第は、星占いによって分単位で時間が決まっている。1分たりとも遅れるわけにはいかない。会場に着いていないとならない時間から逆算すると、我が家の出発は午前5時半になる。

 4時に起きてミルクティーを飲んでから準備スタート。シャワーを浴びてすぐに着替え。本当はサリーを着ようかなと思っていたが、移動が長いのと、走り回るであろう娘たちを追いかけることを考え、パンジャビードレスにした。これが正解。会場内で過ごした時間は約8時間。その間子供たちは走り回っていたので、私もその後を追いかけ動きっぱなし。動きにくいサリーじゃなくて良かった。

 この日の式次第は、通常のポールワーセレモニーを行う結婚式と同じ。午前中にポールワーセレモニー、指輪の交換、キリバトゥを食べ、ジュースを飲み、昼食を食べ、ケーキカットをし、ケーキとバナナとアイスコーヒーを飲んでおしまい。これが朝の9時から16時過ぎまでかかる。

 スリランカの結婚式といえば、100名~200名の招待客といった規模のパーティーが一般的だが、この日は、かなり招待客を絞り込み、双方合わせて50名くらいの小規模のパーティーと聞いていた。ところが、当日になって新婦側の親戚(父親の兄弟や従姉妹)が12名も欠席。100名くらいいればそんなに目立たないが、50名のうちの12名って! 理由は誰かが病気とか言ってたけど、あまりの非常識ぶりに驚いた。

 そんなわけで、用意された席もスカスカでさみしい雰囲気が漂う中、はっきりいって30数名の人数で6時間以上過ごすというのはかなりつらい。そんなに話すこともないし、朝早かったので眠いしで、私を含め皆時計ばっかり見ていた。こんな少人数なら、結婚式スタイルにせず、ご飯を食べてちょっと歓談して終わりというスケジュールにすればいいのにと思う。しかし、そんな柔軟性はないのだろうな。

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 最初に葵が踊り出し…
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 他の子たちも加わる。元気なのは子供たちのみ…

 果てしなく続くように思えたダンスタイムもようやく終わり、ケーキカットが終わり、新郎新婦を見送って車に乗り込んだときには、へとへとだった。私は助手席だったのでかろうじて起きていたが、後部席は娘たちはもちろんアンマまで熟睡していた。

 そして、ハードな結婚式が終わって2日後、今度は新郎主催のホームカミング・パーティーが新郎宅でおこなわれた。場所はマータラからさらに奥地に行くので、家からはやはり片道3時間あまり。こちらはセレモニーがないので、内輪だけのお食事会といった感じだったので、14時過ぎには帰れたのが良かった。

 ともかくこれで義理は果たした。年々、結婚式嫌いになっている気がする。

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冠婚葬祭の嵐1
 6月17日に日本から帰国し、その後の6月後半は冠婚葬祭の嵐だった。まずは22日にターッタの一周忌のダーナ。3ヶ月のダーナと同様、一周忌のダーナは特に重要。お坊さんを自宅に呼び法要をしてもらい、食事などを布施する。また、村の人や親戚、友人を招くので、数百名分の食事を用意しなければならない。

 材料や調理器の手配から、テントや椅子の設置、前日当日のサービス・片付けとやることは山ほどある。こういう時、スリランカ人の若者は本当によく働いてくれる。地元の友人たちが手分けをして手伝ってくれたので、私たちは間違いがないかチェックするだけでOKだった。普段からスリヤンガはまめに親戚や友人の冠婚葬祭に顔を出して手伝っているので、こんなときは声をかけなくても人が集まってくれる。感謝。

 ターッタの3ヶ月のダーナのときには、まだ葵が小さくて人に預けられなかったので、私自身は接待の手伝いができなかった。が、今年はキッチンのお目付け役に任命された。というのも、前回のダーナのときに、遠い親戚(どんな血のつながりがスリヤンガもわからない、けど親戚らしい)が16名分のライス&カレーを包んで持って帰ったとか、別の親戚が自分たちが後で持って帰るため、デザートのワタラッパンをワンプレート(50名分くらい)わざと出さずに冷蔵庫に隠しておいたとか、色々な話が後で耳に入ってきた。

 人が多く集まりお金が使われる冠婚葬祭のような場だと、普段隠れている本性というか性根があらわれてきて、人間観察にはもってこい。面白い。一見敬虔な仏教徒に見えるスリランカ人だが、涅槃の境地には程遠いのが現実。

 スリランカ人同士だとどうしても摩擦を起こしてしまうが、外国人の私が仕切っていれば、普段から「はっきり物を申す」私の性格をみな承知しているので、勝手なことはしないだろうと思っていた。スリランカ人は、けっこうプライドが高い人が多くて、面と向かって何か言われる/非難されるのをすごく嫌がるのだ。果たしてその通りとなり、今回は何も問題なく進んだ。

 3ヶ月のダーナの前に、スリヤンガの夢にターッタが出てきて「ワデ(つぶした豆を揚げたスナック)を買いに行く」と言っていたので、ターッタが好きだったワデをダーナで出そうと、我が家お気に入りのワデ屋台のおじさんに来てもらい、ブッフェ・テーブルで揚げてもらった。これがなかなか好評だった。用意した料理は気持ちよく、きれいさっぱりなくなった。

   *   *   *

 ターッタのダーナが無事終わりほっと一息入れたところで、2日後には叔母のだんなさんの3ヶ月ダーナ。こちらはちょっとした手伝いで良かったので、写真を撮る余裕もあった。

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 僧侶による読経と法話の後、昼食の布施をする。
 美咲と葵もお坊さんの前では大人しくしている。 



  美咲と葵は、親戚の子やスリヤンガの友人の子など顔見知りがいっぱいで、暑い中楽しそうに遊んでいた。でもさすがにスリランカで育っているので、お坊さんの前ではおとなしく、きちんとぬかずいて挨拶をしていた。

 雨季だったが、2つのダーナの前後の日を含めて雨は降らなかったので良かった。激しい雷雨の日だったら準備も当日の接待も大変だったことだろう。

 そしてこの後、27日、29日と従姉妹の結婚式があったのだが、長くなってしまったので(2)へ…

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